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二代目為七郎先生は本名を福田成久といい、1941年(昭和16年)東京生まれ。子供の頃から唄が好きで、高校卒業後民謡を 葛飾区 在住のキングレコード専属佐藤節子師に学ぶ。昭和 36 年に日本民謡協会主催全国大会個人戦に於いて「宮城長持唄」で 3 位入賞。その後、民謡酒場「ニュー鳥越」で民謡を研究。当時は民謡酒場が全盛で、吉原では「七五三」、「追分」、「秀子」
、「らんまん」等が有名であった。
まだカラオケも無く三味線・尺八で酒を飲みながら自慢の喉を舞台で披露する事が歌自慢の楽しみであった。その後カラオケの出現で民謡酒場は急激に衰退してゆく。
当時「ニュー鳥越」には津軽三味線の名手、福士政勝師、花田忠芳師、三浦秋子師等の芸達者な連中が多く在籍していて隆盛を極めていた。三浦秋子師は三橋美智也師の姉で、ある日秋子師の元に三浦事(つかえ)いう女性が訪ねて来た。それが、後の妻となる敦子さん(初代三浦為七郎先生の娘で三味線の名手、三浦小為先生)である。結婚後は二人で 江東区 を中心に民謡を教える事を生業とした。
その後当時「三浦為七郎」の名前を持っていた三橋美智也師から 3 年間の修行の後「二代目三浦為七郎」を譲り受け、1979年(昭和54年)江東公会堂に於いて襲名披露を行なった。後見人は、三橋美智也師、日本民謡協会理事長青木好月師、二代目大船繁三郎師で会場は満席で大盛況であった。会は「民謡三浦流連合会」といい、先生は現在、東京 江東区 で民謡及び民謡尺八の指導を行なっている。二代目の作曲したものに「春の山唄」「冬の山唄」「下町音頭」「おしどり追分」等がある。キングレコード所属 。
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