歌謡界を代表する歌手三橋美智也師は初代三浦為七郎先生の民謡の愛弟子であった。初代三浦為七郎先生は三橋美智也師の伯父に当たり、母サツさんも地元民謡歌手として活動していたことから 5 歳で初舞台を踏み、10歳で全道民謡コンクールで江差追分を唄い、多くの大人を抑えて優勝。郷土の神童として 12 歳の頃にはコロンビア大衆レーベル・リーガルレコードから民謡のレコードを吹き込んでいる。その間、鎌田連道師から三味線を習い、その後津軽三味線の父と言われる白川軍八郎師から津軽三味線の奥義を取得する。
白川師は津軽三味線の演奏形態を現在の形にした歴史的名人で、木田林松栄師・高橋竹山師にも大きな影響を与えた津軽三味線の父とも言える人物である。
津軽三味線の奏法としては、白川―木田―三橋系の「叩く三味線」と高橋竹山系の「弾く三味線」の2つになる。
三橋美智也師は上京後、初代三浦為七郎先生の「江差追分」尺八伴奏をしていた尺八界の名手、菊池淡水師とも親交を深めている。三橋師は、恩師、白川軍八郎師の手法を持って先輩、木田林松栄師とともに早くから東京の大舞台で披露し、“津軽三味線”を全国に広めた第一人者であり又、東京キューバンボーイズとラテン音楽で、寺内タケシ氏とのエレキギター共演など、津軽三味線の可能性を大きく広げている。
歌においては「おんな船頭唄」「「りんご村から」「哀愁列車」「古城」「達者でナ」「星屑の町」などのヒット曲は数知れず、 1983 年(昭和58年)には史上初めてレコード総売り上げが 1 億枚を突破。現在民謡歌手の頂点に立つ原田直之氏・大塚文雄氏を始め、南こうせつ氏・堀内孝雄氏・小椋桂氏なども三橋美智也師にあこがれ歌の世界に入った事は良く知られている。