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追分尺八の祖「鴎嶋軒小路豊太郎」先生
北海道江差町にある鴎嶋の崖上に「鴎嶋軒小路豊太郎(おうとうけんこうじとよたろう)」先生の顕彰碑がある。
豊太郎先生は追分尺八の祖と言われ、明治から大正初めにかけて活躍。追分名人、平野源三郎氏の伴奏者として尺八を吹いた事で大評判となり、「唄は平野、竹は小路」ともてはやされた。尺八による追分伴奏は三味線、太鼓より手軽で追分の哀調に合っている上、尺八が虚無僧の占有物から広く庶民が自由に手に出来るようになっていたこともあって、急速に流行していった。そして追分節の尺八伴奏は、やがて他の民謡や俗曲の伴奏にまで広がって行くこととなった。北海道江差町生まれで、神保政之輔氏に尺八を習っている。神保政之輔氏は越後の普化宗秀峰山明暗寺の住職、堀田侍川の門人で東北竹界にその人有り、と言われた尺八の名人で「神保の三谷か三谷の神保か」と全国にその名を轟かせた虚無僧であった。普化宗寺「越後明暗寺」「福島虚無僧寺小菊山蓮芳軒」でも虚無僧尺八を学んだが、古典本曲で有名な「神保三谷」は神保氏の作品である。小路先生は、その後「鴎嶋軒(おうとうけん)小路流初代家元となり、多くの弟子を育てている。小路流尺八道は二代目を樽田隆章先生、三代目を札幌市の松本晁章先生が受け継ぎ今日に至っている。
小路先生について書かれた本に「江差追分と尺八に生きた鴎嶋軒小路豊太郎とその周辺の人々」井上肇著がある。

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